森とまちを旅する tent vol.1 「スギダラケの理由」日本全国スギダラケ倶楽部 若杉浩一さん

森と人の、ちょっと未来のカンケイに出会うフリーペーパーです。

森や草原、家の裏庭、どこに建ててもその場所がワクワクする場所に変わるテント。森をもっとおもしろくするために、テントみたいな発明を発信していきたい。「点と点」をつないでいきたい。そんな思いで、「テント」という名前のフリーペーパーを作りました。私たちは長野県の伊那市という地で森に関わる仕事をしています。森の現実を見つめながら、森のグッドニュースをつないでいく。「森の価値」にもういちど出会うための旅。今回は、杉とデザインで「社会を美しくする」人を訪ねました。

 

日本全国スギダラケ倶楽部。略称は「スギダラ」。森の未来をつくっている人、というのは、森に関わるあらゆる業種の人が当てはまる。林業をしている人はもちろん、木工家も、デザイナーも、キャンプ場も

そのほかにもたくさんある。その中で、地域の木を使った取り組みを調べていくと、若杉さんにぶつかる。いろんなところに若杉さんの名前がある。宮崎県日向市の木造駅舎のプロジェクトや地域の杉を使った家具プロジェクトなどなど。これは若杉さんに話を聞いてみたいね、と思ってドキドキしながら問い合わせる。まだありもしないフリーペーパーの取材。にもかかわらず若杉さんは、すぐに快諾してくださった。

取材に行く前に、ウェブサイトで「スギダラ」について調べた。しかし、スギダラケ倶楽部という倶楽部が普段何をしている倶楽部か、が掴みきれない。若杉さんも同じく、だ。若杉さんを調べると様々なHPが出てくる。「杉屋」、「鹿沼のすごい木工プロジェクト」、「KOIYA」、「obisugi design」、「木食同源」などなど。 このほかにもまだある。スギダラケ倶楽部と他のプロジェクトはどういう関係なのだろう、と不思議に思いながら、武蔵野美術大学を訪ねた。 話を聞いてみたが、結局よく分からなかった。

しかし、なぜよく分からないのか、が分かった。「スギダラ」というのはゆるやかな共同体であり、参加している人がそれぞれの方法で、杉を使って町をおもしろくしていくことを共通言語に集まっている。だから、それぞれの地域で色々なプロジェクトが生み出される。それは「スギダラ」が統括するのではなく、その地域ごとで文化を背負って活動をする。そこにデザイナーがいないから一緒にやってよ若杉さん!という感じで広がっている。 だから全貌なんてつかめないのが当たり前。いろんなところで生まれるプロジェクトに「いいじゃん!」と背中を押しているのが日本全国スギダラケ倶楽部なのだ。

 

「日本全国スギダラケ倶楽部」とは

戦後の植林によって杉だらけになってしまった日本の山林をやっかいもの扱いせず、材木としての杉の魅力をきちんと評価し、産地や加工者、流通、デザイン、販売など杉を取り囲むシステムを結びつけることで、杉をもっと積極的に使っていこうじゃないか!という運動です。つまり、これからは山じゃなくて、街や住まいをクオリティが高く愛情のこもった杉のものでスギダラケにしていこう!というプロジェクト。 現在全国に24支部、2400人が参加。

「いいデザイン」 ──

日本全国スギダラケ倶楽部は若杉さんらデザイナー3人が居酒屋で盛り上がって立ち上がったと聞きました。最初の立ち上がりについて教えてもらえますか?

「スギダラ」を立ち上げるまでには、長い長い話があるんですよ。 僕はね、美大を出て「デザインは社会を美しくするものだ」と信じて、憧れて、プロダクトデザイナーになったんですよ。デザイン会社に入って、文房具から家具まで様々なプロダクトデザインをやってきました。最初は良かった。ただ20代後半頃から、違和感を持つようになりましてね。

──どんな違和感でしょうか?

社会を美しくするはずのデザインが、利益だけを追求する道具として使われて、消費経済を煽るために使われている、ということです。「売れるデザイン」が「いいデザイン」とされています。しかしですね、売れることだけが本当に大事なのだろうか、と考えてました。それを上司にぶつけるわけですよね。「売れることより大事なことがあるんじゃないでしょうか!!」と。

──いいですね!上司の方には何て言われたんですか?

「そんなもの、あるわけないだろ!」と怒られました(笑)

──売れることより大事なことがあるのではないか、というのはどうしてそんな風に思われたんですか?

いくら売っても際限がないんですよ。ひとつのプロダクトで30億円売り上げたこともありました。1つの商品ですよ!? もういいじゃないのか、と思うようになったわけです。常に新しいものが求められる。新商品、便利で簡単。誰のためのデザインかがわからなくなる、そんな感覚ですよね。

──そのとき若杉さんが考えていた「いいデザイン」というのはどういうものだったのでしょうか?

それはさっきも言ったように、「社会を美しくする」ということです。僕は熊本県の天草出身。実家には小さいですが山がありました。僕が子供の頃は、「山は地域の未来だ」と言われていて、林業は地域の基幹産業だった。その林業が衰退するとともに、地域もかなり疲弊してしまっていた。そういった地域の荒廃を煽ったのは、ひょっとしたらプロダクトデザインの功罪かもしれないと感じていました。このような偏った消費社会をつくる片棒を担がされていると感じたんですよ。

──当時というと、1980年代後半。今聞くと持続可能性みたいな文脈は理解ができますが、その時代の中ではかなり先進的ですよね。

こんなことを何度も言うから、経営からは煙たがられる。30歳のときには、とうとうデザインの部署から外されてしまいました。いわゆる窓際ですよね。丸々10年間他の部署を転々としました。

──そんなあからさまなことがあるんですね。デザイン部から外されて、会社を辞めようとは思わなかったんですか?

思うに決まっているじゃないですか!

──若杉さんのように技術があれば独立したり、転職したりも出来たと思うんですがどうして続けられたんでしょうか。

当時、仕事終わりに、別の事務所に行ってデザインをさせてもらってましてね。お金をもらったらクビになるので無償でね。そこの親びんに認めてもらっていたんですよ。で、その親びんに「辞めるな」と言われたんですよ。「お前がデザインは社会を美しくすると考えているなら、大きな会社にいた方が社会を美しくできるだろ」と。「個人になったって、辛いのは変わらないなら、会社で出来ることをやれ」と言われて結局辞めなかった。

──若杉さんの「デザインで社会を美しくする」、という覚悟というかデザインに対する想いというのは本当に強いものだったんですね。

想いというか、もうここまでくるとデザインが好きだと思わなければ立っていられなかったんですよ。「自分はデザインがやりたいんだ!」と思うことでなんとか自分を保っているようなものですよね。

──その想いが強まっていく中で「スギダラ」を立ち上げることになったのでしょうか。

きっかけみたいなものは特にないんですけどね。本当にふとしたときに、地域の資源を使わなくなった社会と自分自身が携わっているデザインが作り出している未来が重なって見えたんですよね。資源の源である山は荒廃し、地域産業をダメにしてしまいました。それは、私たちの便利で、簡単で、豊かな消費社会が引き起こした結果です。「デザインが社会を美しくする」のであれば、地域資源を使って社会を美しくする、簡単便利じゃない豊かさにデザインを使うことに人生をかけるのがいいのではないか、と思いついてしまった。思いついたからにはやるしかないじゃないですか。

血の繋がっていない 親戚の集まり

──「スギダラ」のウェブサイトなどを拝見したのですが、どんな活動をしているのかが掴みきれななくて。スギダラは普段どんな活動をしているのでしょうか。

「スギダラ」は全国に支部があって、支部ごとに集まってそれぞれで活動しています。「スギダラ」自体にはルールもなにもないんですよ。たまに「遊びにきて!」とか、「一緒にやろう!」って声がかかる。そうすると、面倒くさいけど「あのおっさんが呼んでるからしょうがねぇだろ、みんな行くぞ!」といってみんなで駆けつける。血の繋がっていない親戚の集まり、みたいなものなんですよね。

──その感じ、すごくいいですね。ゆるやかなコミュニティが全国規模でつながっていて、何かあったら集まるというのは、確かに親戚のような感じですよね。

そんな感じです。親戚の集まりに行くと面倒なオヤジが1人や2人はいるじゃないですか。そんな残念な感じも含めて「スギダラ」は親戚の集まりみたいな感じ。参加費も年会費もなしです。よくお金をとればいいじゃないか、と言われるのですが、始めた時からお金を交えないと決めていましたし、今もそれがいいと思ってます。

──無料だからこそ親戚のつながりみたいなものなんですね。ただ、実際に無料で18年間も続けるというのもすごいことですよね。

だってさ、お金もらうのって面倒だもんね。そう思わない?

──面倒くさいというのが理由なんですね!確かに、お金を集めるというのはとても大変だし、有料にするとその分の見返りを求める人が増えてくると思うので、今のようなゆるやかなコミュニティにはならなかったのかもしれませんね。

そうです。お金を介さないことで、行政の人たちも自由に参加できる。想いを持った人たちが集まればそこから何かが生まれるじゃないですか。そういうのがいいんですよ。

──だからこそ全国にこれだけの仲間が集まりプロジェクトが動いているんですね。なんとなく「スギダラ」の活動がわかった気がします。なんとなくですが(笑)

お金がないってことが 良かった

──「スギダラ」の活動は多岐に渡っていて、様々な地域とコラボレーションしていますが、いつもどうやって始まっていくのでしょうか?

その地域に、数人でも想いを持った人がいると何か動き始めるんですよ。そこにデザインが足りないってなれば僕らが行ってやるわけですよ。「来てください」、って言われるけど、予算ゼロ円とか普通にあるんですよ。

──え、それはすごいですね。ゼロ円でもやるんですか。

やるんですよ。むしろデザイナーとしてできることは、地域にデザインの雫を落として周ることだと考えています。いろんな場所にデザインの雫を落として、その場所にデザインが必要だったら、波紋になって広がっていく。必要ないと思われればそれで終わり。それだけのことです。でも、お金がないってことが良かったんだと思うようになってきましてね。お金をもらっていないのに、地域をおもしろくしたい!と思ってくれるある意味「変人」だけが残るんですよ(笑)

──確かに!その熱量に共感する変わり者しか残っていかないというのはいいですね。

地域には人がいないと言われてますよね。確かにいない。でも、今いる人の気持ちがまず変われば、その地域も少しずつ変わっていく。そうすると周りの人たちも巻き込まれていく。そんな事例をいっぱい見てきましたからね。へたにお金があると仕事になります。そして、仕事だとお金がなくなったらそこが縁の切れ目になる。そうなると、地域の熱みたいなものまでは生まれなかったりするんですよ。単年度でプロジェクトが終わったりね。

──グッときます。地域の人を変える、というのはとても難しいと思いますが、若杉さんはどのように取り組んでいるのでしょう。

希望とか熱とか、そういうものが伝播していくまであきらめないぞ!という気持ちですよね。そんなにすぐに何かが変わるなんてありませんよ。10年かかるつもりでやるしかない。10年のつもりでやっていれば、5年経ってもまだ半分か、まだまだやるぞ!って思えるじゃないですか。そうやって時間をかけてやっていけば、本当に熱量のある人だけが残っていって、少しずつ物事が転がり始める。

──確かに何十年もかけて作られた「今」を変えるのがそんなに簡単なわけがないですね。

1年とか2年とかで結果を出せ、なんて言われると「飲み会だけで終わるだろ!」って思っちゃいますよね(笑)

行ってこーい! ドーン!

──今年の春から武蔵野美術大学の教授になられましたが、これからどんなことに力をいれていくのですか?

東京に集まった人材をまた地域に戻していきたいですね。企業が抱えている人材やテクノロジー、流通、マーケティングと地域の困りごとを直接つなぐような社会インフラを作りたい。地域には学びと仕事が足りない。地域に仕事を作りながら、学びを共有できるコミュニティを再編していきたい。

──わかります!地域で暮らす個人としてもそのことはめちゃくちゃ実感します!地域に生きていて、学びの少なさや得意分野の違う人との繋がりがなかなか出来ないので、新しい何かを生み出すのって難しいです。

まさにそこなんですよ。例えば地域で構造計算ができる人がいない、ってなれば社会インフラとして構造計算ができる人に「行ってこーい!ドーン!」と言って仕事を作る。そうやって一度できたことはまたできる。地域に足りないものを補完していく仕組みを作りたいんですよ。

──作って欲しいです!エンジニアさんとかが地域に入ってくるともっと面白くなると思っています。

そうでしょ?やりたいんですよ。今地方が大企業の食い物にされてきている。そうなるとまた30年前と同じ。簡単便利な消費社会ではなく、別の豊かさを地域のものづくりから作っていく。大学の先生なんて絶対にやらないと思ってました。でも、都会と地域をつなぐ社会インフラを作りたいな、と思っていた時に、ムサビが声をかけてくれた。これは呼ばれてる!と思いましたよ。だって、個人のデザイナーより大学の先生の方ができそうでしょ?地域のものづくりが再生していくことは、森にも繋がっていきますからね。これもこれからの10年計画ですよ。

 

取材からの長野への帰り道、一緒に取材に行った榎本さんからの電話が鳴る。「すみません!興奮しすぎて、取材の謝金を渡すの忘れました!!」と。 やまとわが目指すのは、「森をつくる暮らしをつくる」こと。方法は違うけれど、若杉さんたちはすでに18年前から始めていたのだと思うと、嬉しい気持ちになる。森とそこに関わる人が面白くなれば森は変わると思っている。若杉さんは、取材の中で「別に杉だったのはたまたまですよ。自分の名前が若杉だったから、というわけでもないし、思いついたときに、消費社会と自分の家の裏の森の風景が重なって見えたから」と言っていた。裏山ナイス。若杉さんは確実に森の未来をつくっている人、だった。

(聞き手・文 奥田 悠史)

編集部後書き

「新商品、簡単、便利な消費社会」1980年代からプロダクトデザイナーをされている若杉さんの言葉の重みを実感する。 簡単、便利で使い捨て。そのほうが消費が回転してモノが売れる。ちょっと難しくても意味のあること、持続的な豊かさが大切にされる社会に向かっていきたい。そのために、小さくても一歩を重ねる。若杉さんが「デザインは社会を美しくする」ことを目指すように、僕らも哲学を忘れずに森と暮らしをデザインしていく。 (奥田悠史)


若杉さんと日本全国スギダラケ倶楽部の事を知ったのは、今から6年前。学生時代、若杉さんの講演会に参加したことがきっかけです。そして6年後。今回は、取材をさせていただく機会をいただきました。取材に夢中になるあまり、帰路につく途中、謝礼を渡しそびれたことに気付きました。急いで若杉さんに連絡をすると、「謝礼はいらんから、活動費に使ってくれ!」とお返事が。帰りの車中、まさかの大失態に心底落ち込むも、熱のこもった若杉さんの話が頭から離れませんでした。 (榎本 浩実)